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「電気通信大学の黎明期」


序:電気通信大学の黎明期の研究
  • 世界最初のプリント配線の回路
  • 自由闊達な雰囲気
  • 技官や卒業生のネットワーク
  • 大学の研究

  • 機器分析の時代を牽引した電通大
  • NMR分光
  • レーザー分光
  • 質量分光のインビーム
  • 電子顕微鏡

  • 世界最初の電波時計
  • 凧型アンテナ
  • 高山の電波通信・地下探査

  • 真空管から固体素子へ
  • 半導体電子素子の研究

  • 超伝導回路の研究

    南極観測と雪原の電波の吸収

    電通大の宇宙研究

    各学科の歴史

    わが国初のNMR分光

    日本のレーザー分光も電通大

    日本最初の電波時計は電通大での発明

    星間空間実験装置




    (6) <<電通大の黎明期(7) >> (8)



    各学科の歴史



    開学当初の卒業生めいぼをみますと。電波通信専攻、電波工学専攻、通信経営専攻の3学科の卒業生84名が昭和28年(1953)に卒業しています。昭和35年(1960)の卒業時は電波通信に海上通信専攻と陸上通信専攻ができ、昭和38年(1963)には電子工学科、昭和39年(1964)に通信機械工学科、昭和43年(1968)通信材料工学科、昭和46年に物理工学科がぞうせつぁれ、卒業生は390名になっている。その前年より学科名も電波通信学科、通信工学科、応用電子工学科、電子工学科、経営工学科、機械工学科、材料工学科、物理工2には情報数理工学科、昭和53年度(1978)には機械第二学科の卒業生がふえています。これが10学科制で平成3年(1991)まで続き、平成4年卒業生からは電子工学科、電子情報学科、情報工学科、機械制御工学科、電子物性工学科のそれぞれ200名前後の大学科ができ小学科制の面影はなくなり、また昭和31年(1956)から続いた短期大学卒業生も平成2年で基本的に終わります。

    黎明期(1950年代と1960年代)の歴史からははなれますが、今10学科小学科制の学科の歴史を残そうという動きがあります。10学科だけでなく、一般教育の自然科学系、人文科学系も組織も形もなくなりました。

    黎明期にはシェイクスペア研究の八木林太郎、近世から現代までの世界史の膨大な著述「フランス革命」「第一次大戦」「第二次大戦」「冷戦」を書かれ、最近ではいち早く電子書籍の出版もされていた山の上正太郎、孫文の研究で日本と中国との関係史に詳しい藤井昇三などでんつうだいの人文系の黎明期におられた数々の研究者のことも忘れてはならないとおもいます。

    黎明期の電通大の最後の時期にあった大きな事件は、本稿の最後の章にある「考え会い、論じ合い、納得ゆくように」に書いておきました。 沖縄のマブニの崖から追い落とされてから20年、戦争は嫌だという戦後の意識のまだ強かったころのエピソードです。この中に出てくる山上先生も今年の8月に91歳でおなくなりになりました。在籍していた学生もみな定年をすぎているでしょう。(2010・11・12)


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