深沢レポート
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マヤからの報告2(由紀)
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1995年9月(準備中)
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北ベリーズ〜グゥアテマラ、マヤ紀行
深沢武雄
12. カラコル遺跡
3月8日早朝、とりあえず借りていた車を空港で返し、バスに乗り換えてグァテマラ国境方面に向かうつもりでいた。国境の手前にはベリーズでは最も名の知れたシュナントニッチ遺跡があり、またその西の山中にひそむカラコルという遺跡も魅力的だった。ただし、カラコルは相当の山奥であり、分岐点のサン・イグナシオからでも丸1日の行程だとガイドブックにはある。普通であればとてもカラコルまで行く余裕はない。さてどうしたものかと考えあぐんでいたところで出会ったのがサムという観光タクシーのドライバーだった。話している内に、わたしも日本人にはいろいろとひいきにしてもらっていることでもあるし、それなら自分がカラコルまで連れていってあげよう、というのである。
こうして私たちは、まずサムのハイヤーで市街地まで行き、そこでまた別の4WDをレンタルしてカラコルへ向かった。途中、サン・イグナシオの手前を左折すると、俄然、道は険しくなった。山あり谷あり、雨が降ればたちまち路上は濁流と化すという。雨期であれば絶対危険な場所である。
山中、幾つか集落を横切ったが、そのあたりは薬草の産地として知られ、その採集と煎じ方は今も古老の知恵にゆだねられているという。マヤ伝統の薬草の知恵である。
「大丈夫、自分が運転すれば絶対昼過ぎには着くだろう」とサムは言っていた。が、途中、遺跡の管理事務所で入山の許可を受けるのだが、実際のカラコルは、それからも意外に遠く、やっとの思いで遺跡にたどり着いたのは、午後2時過ぎになってからであった。ベリーズ・シティーからひた走りに走って約5時間の距離だった。撮影できる時間は、あと3時間ほどしか残されていない。
それでも来て良かったと思ったのは、遺跡の入り口に着き、その右手の奥に巨大な神殿の石組みを見た時だった。ここへ来るまでは、この遺跡もほとんどがマウンドのままだろうと思っていた。それがいざ来てみると意外に開かれていることがわかったのである。それに、カラコルは、とてつもなくスケールの大きな遺跡だった。ガイドによれば、かつてはペテン地方のティカルとも拮抗する程の祭祀センターであり、一時は、それを制覇した時代もあったという。リンダ・シェールのいう、いわゆるマヤのスター・ウォーズである。
カラコルでは、そんな訳で必ずしも充分に遺跡を見て廻ることができなかった。が、それでも、A区広場から見た遺構群とカアナ神殿は圧巻だった。ジャングルの中には、まだ他にも無数の遺構が隠されいるにちがいない。また来る時には、是非ここでキャンプを張り、心ゆくまで遺跡を散策してみたいものである。サムにうながされてカラコルを発ったのは午後4時過ぎ。途中、案の定、猛烈な雨に見舞われ、この先どういうことになるものかと案じられたが、夜の9時過ぎには無事サン・イグナシオのホテルにたどり着くことができた。
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