由紀レポート
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    『マヤ神殿とその壁面装飾』
  • 第1巻(プウク篇)
  • 第2巻(ベリーズ篇)
  • 第3巻(ペテン篇)

  • マヤの遺跡を訪ねて(Sep.28-Oct.12,1995)
    深沢由紀

    6. Puerto Barrios/10月4日(水)

    朝食もとらずにバス停に行って、Belizeとの国境の町Puerto Barrios行きのバスを待った。私は売店でクッキーとクラッカーと水を買った。水はボトルに入っているのがなく、ビニール袋に入ったアイスノンのような水だった。安全な水なのだろうが、袋はほこりっぽかったし、なんとなく飲む気になれなかったので、手を洗ったり熱っぽい頭を冷やしたりするのに使った。7時45分のバスに乗ってPuerto Barriosには10時15分についた。バスはとても混んでいて私たちは運転席の横の方に座っていた。

     Puerto Barriosはこれまで行った町の中で一番栄えていて、店なども近代的だった。まずはアイスクリームを食べて一服し、すぐにタクシーでボート乗り場に行った。Belizeとの国境なのでそこには英語を話す人がたくさんいた。タクシーを降りると、いろいろな人がBelizeへのボートの話をもちかけてきた。その中の白人の男性と交渉をして、1時のボートでBelizeに行くことにした。ボート乗り場の近くにあった食堂で昼ご飯を食べて、時間があったのであたりをふらふらしていた。近くには結構大きなスーパーマーケットがあった。この旅行中このようなスーパーをみたのははじめてだったのでなぜかとてもうれしかった。そこでジュースやお菓子を買って、暇をつぶしていた。ボート乗り場の回りをうろついていたら、ラテン系の男の子が話しかけてきた。その男の子は私と同い年で、英語を少し話せた。彼は、Guatemalaのような田舎はもう飽き飽きという感じで、Belizeの観光地であるSan Pedroを絶賛していた。やはり若い人たちには新しい刺激が必要なのだろうなと思った。そういえば、シンガポールに行ったときにできた友達も、シンガポールは小さすぎてもう飽きてしまったと言っていた。


     1時になってボートに乗り込んだ。乗客は私たち以外には3人いた。私はこの春にマレーシアで島に行くときに乗った馬力のないボートを想像していたので、この時に乗ったボートがものすごいスピードで走り出したときにはびっくりした。私はモーターボートに乗ったことがなかったが、風を切って海の上を走るのはとても気持ちがよかった。1時間ほどでBelizeのPunta Gordaについて、入国審査を船着き場ですました。私たちがガイドで見て決めたMira Mar Hotelに向かって歩こうとするときに、黒人の男の人が親しげに話しかけてきた。彼はCaye Caulker行きの飛行機やこの近くのマヤの村のことを知っていたので、後で話すことにして、とりあえずホテルに連れていってもらった。ホテルは$53といままでと比べてかなり高かったが、ちゃんとホテルと呼べるだけの設備が整っていて値段相応だったのでここに決めた。ここのオーナーはChineseで、面倒見がよいというのもポイントだった。

     まずは飛行機の予約をしなければならなかったので、トラベラーズ・エージェンシーに向かった。途中、さっき会った黒人の男の人が自転車で通り、彼にこの辺の事情などいろいろな話を聞いた。彼が言うには私たちが行こうとしているCaye Caulkerはもうリゾート化してしまってあまりよくないだろうということだった。それよりもPunta Gordaの近くのCayeの方が自然で私たちにとってはベターだというのだ。しかも、そのCayeの中には古いマヤの遺跡が残っているものもあると言う話をしたので、すぐに父親が反応して、ここのCayeに行く方に話が進んでいった。結局、明日は彼にマヤの村と遺跡を案内してもらい、その次の日にCayeにつれていってもらい、その次の日にCaye Caulkerへ直接飛行機で行くことになった。

     トラベラーズ・エージェンシーには小さな子どもがいて、私に近づいてだっこをせがんだ。何もしゃべらないがずっとにこにこして私に甘えてきた。こっちの子どもは人懐っこいのかなと思った。飛行機の予約はここで行うよりも直接飛行場に行った方が早いと言うので、そこまで車で連れて行ってもらった。Punta Gordaはとても小さな町で、飛行場も町外れの歩いて行ける距離の所にある。行ってみると、飛行場というよりただのはらっぱだった。そこで、Caye Caulkerまでのチケットをとり、やっとホテルでゆっくりすることが できた。夕食の時にさっきの黒人のMemoという名の男性と会って、明日の話をすることになっていたので、待ち合わせのレストランに行った。そこはベリーズ料理を食べさせてくれるということでMemoのお薦めだった。けっこうたくさん旅行者のような人たちがきていたが、日本人は私たちだけだった。その中に、アメリカの大学で考古学を研究しているという女性がいて、少しだけ話をした。彼女はBelizeの生物を研究するために長いことここに滞在しているらしい。そてもワイルドで感じのよい人だった。ベリーズ料理は特にかわったものではなかったが、海沿いの町なのでシーフードが安くておいしかった。

     レストランからホテルに戻るとちゅう、アイスやケーキをうっているお店があったので、デザートにアイスを食べることにした。そこのベンチに座って食べていると、ボートでBelizeまでつれてきてくれた男の人が来て、しばらく話をした。Memoのことを話したら、まーいいやつだよと言っていた。後でMemoに聞いたのだが、ここにはGuatemalaとの連絡船を持つ人が3人いて、その一人が私たちを連れてきてくれた人、一人がMemoらしい。もう一人には結局会うことはなかったが、Memo以外の二人がいつも旅行者をめぐって争い、仲が悪いらしい。Memoはどっちともとりあえずうまくやっているので、彼はMemoのことをいい奴といったのだ。また、KARATEと書いてある看板を見つけたので のぞいてみたら、地元の人達が空手の稽古をしていた。中に入って話を聞いたところ、何年か前に日本人がPGにきて空手道場をひらいたらしい。今は地元の人達がそれを引き継いで毎日稽古が行われているそうだ。日本からの観光客がほとんどこないこの土地で空手道場を発見して、なんだか不思議な気分になった。

     ホテル前の道を歩いていると、マヤの村の子どもが一人でついてきて、片言の英語で話しかけてきた。その子はここの小学校に通っているのだが、村へ通じる橋が落ちてしまったので、しばらく村に帰れないでいるらしい。母親がつくったバスケットやアクセサリーを持って、私に買ってほしいと言ってきた。この村にはおみやげ屋がなさそうだったので、少し買ってあげようと値段を聞いたら、かなり高かった。それでもまったく買わないのは悪いので、イヤリングとバスケットを一つずつ買った。きっと旅行者に売るように親に言われているのだろう。その夜は久しぶりにホットシャワーを浴びて、気持ちのよいベッドに寝ることができた。


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