マヤ神殿
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『マヤ神殿とその壁面装飾』
第1巻(プウク篇)
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ウシュマル遺跡(Uxmal Ruins)
魔法使いのピラミッド
魔法使いの館とも呼ばれているこの神殿ピラミッドは、マヤのピラミッドとしては、極めて特異な形をしている。つまり、よく見られる階段状の四角い基檀がここでは大きめな基檀が二つあるだけであり、しかも、その角が四隅ともふっくらと丸みを帯びている。
伝説によれば、その昔、この地の魔法使いの魔術で卵から一人の赤ん坊がかえった。赤ん坊は、一年もすると一人前の小人の魔法使いとして成長し、早速、王様の前に引き出された。王様は、その小人の魔法使いを試すために次々と謎解きしかけるが、ことごとく負けてしまう。怒った王様は、そこで、"今度は、この場所にできるだけ大きな宮殿を、しかも、一晩で建ててみよ。さもなくば死刑に処す"と命令した。しかし、小人の魔法使いは、母親の助けを借りながらも、その命令をなんなく実行し、翌朝には、このような立派なピラミッドが出来あがっていたという。このピラミッドが"魔法使いのピラミッド"と呼ばれるようになったのは、こんな伝説に由来している。
実際のピラミッドは、もちろん、一晩で出来たわけはなく、現在の形になるまでには、おそらくは、300年くらいはかかっただろうと推定されている。
事実、現在の魔法使いのピラミッドは、様式の異なる五つの神殿から成っている。その内、最も古いものは、基檀西側の隅にその一端をのぞかせているプウク式の建物で、第一神殿という。第一段目の基檀は、後年、その第一神殿の上にかぶさるように築かれたもので、その頂上には、チェネス式の神殿が第二から第四まであい前後して建てられた。そして、後年、更に一段基檀が増築され、そこに現在のプウク式第五神殿が建てられたのだという。
矩形の尼僧院(外側)
魔法使いのピラミッドの西側には、矩形の尼僧院と呼ばれる建物が連なっている。その周囲は、まだ手付かずの瓦れきの山であるが、おそらく昔は、このあたりにも宮殿やら僧院やらが軒を連ねていたのであろう、朽ち果てたプウク式の壁の一部などがそこかしこに顔をのぞかせ、華やかりし頃の面影を偲ばせてくれる。
尼僧院は、やや小高い基檀の上に建っており、近つ"くとまず眼を奪われるのが、あの鼻の長い雨の神チャクで飾りたてられた北館の側壁である。下から眺めるとチャクの塔にも見える。
鳩の館
大ピラミッドの西に接して、一見、宮殿か神殿の側壁の跡と思えるかなり破損した建造物が連なっている。石組みの壁の上には、等間隔に並んだ三角形の棟飾りが九つほど残されているが、この建物が鳩の館と呼ばれるのは、その各々に見られる小さな四角い窓が鳩小屋に似ていることに由来する。
大ピラミッド
この巨大なピラミッドは、例の魔法使いの伝説にも関係があるといわれ、小人の館という名でも知られている。つまり、あの魔法使いのピラミッドを一夜で完成させたと伝えられる魔法使いの親子は、この辺りに住んでいたというのであろうか。ピラミッドの頂上には、かなり古い時期の神殿の跡が残されているが、その壁にはめ込まれたまれた石の斜め格子、雷紋とならんで花や鳥の形をした素朴なレリーフがおもしろい。
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