1901(明治34) | 「東部有黥面蕃語と苗族譜の比較」『東京人類学雑誌』179:『鳥居龍蔵全集』第11巻:539-541 |
1903 a (明治36) | 「清国雲南玀猓調査」『東京人類学会雑誌』204;『鳥居龍蔵全集』第10巻:576-580 |
1903 b (明治36) | 「苗族と玀猓に就て」『東洋学芸雑誌』20-259;『鳥居龍蔵全集』第11巻:357-368 |
1903 c (明治36) | 「支那に於ける苗族の地理学的分布並にその現状」『地学雑誌』15-173,174;『鳥居龍蔵全集』第11巻:368-383 |
1903 d (明治36) | 「支那の苗族」火曜会講演;『鳥居龍蔵全集』第12巻:713-729 |
1903 e (明治36) | 「清国西南部人類学上取調報告」『東京人類学会雑誌』208;『鳥居龍蔵全集』第10巻:553-559 |
1903 f (明治36) | 「玀猓の文字」『学燈』7-10:『鳥居龍蔵全集』第10巻:586-594 |
1903 g (明治36) | 「清国四川省の満子洞」『考古界』3-7,10,11,4-1:『鳥居龍蔵全集』第10巻:605-622 |
1904 (明治37) | 「余の携えたる一個の銅鼓に就て」『東洋学芸雑誌』21-286;『鳥居龍造全集』第10巻:626-643 |
1905 a (明治38) | 「苗族は現今如何なる状態にて存在する乎」『史学雑誌』16-3~5;『鳥居龍蔵全集』第11巻:383-396 |
1905 b (明治38) | 「玀猓の神話」『帝国文学』11-9;『鳥居龍蔵全集』第10巻:594-602 |
1907 a (明治40) | 『苗族調査報告』東京帝国大学(理科大学人類学教室)刊 |
1907 b (明治40) | 「玀猓種族の体質」『東京人類学会誌』257,261;『鳥居龍蔵全集』第10巻:580-586 |
1916 (大正5) | 「貴州雲南の苗族」『東洋時報』209,210;『鳥居龍蔵全集』第12巻:637-650 |
1918 (大正7) | 『有史以前の日本』磯部甲陽堂刊;『鳥居龍蔵全集』第1巻:167-453 |
1923 (大正12) | 「支那の南蛮に弓箭なきか」『人類学雑誌』38-6;『鳥居龍蔵全集』第10巻:574-576 |
1924 (大正13) | 『日本周囲民族の原始宗教』岡書院刊;『鳥居龍蔵全集』第7巻:319-422 |
1926 (大正15) | 『人類学上より見たる西南支那』冨山房刊;『鳥居龍蔵全集』第10巻:219-521※『中国の少数民族地帯をゆく』朝日選書1980として再刊 |
1953 (昭和28) | 『ある老学徒の手記-考古学とともに六十年』朝日新聞社:『鳥居龍蔵全集』第12巻:137-343 |