鳥居龍蔵の世界 Page08



鳥居龍蔵の沖縄調査
「東京大学総合研究資料館標本資料報告 第18号、1990」より転載。


笠原政治


鳥居龍蔵は、沖縄(琉球諸島)を二度訪れている。1896年(明治29年)の台湾からの帰途、および1904年(明治37年)の6-7月である。そのうち、とくに1904年の訪島は比較的長期間にわたる調査旅行で、首里・那覇から沖縄本島の中南部、北部(国頭地方)を踏査し、さらには先島の宮古・八重山諸島、八重山最西端の与那国島にまで足をのばした。(沖縄北隣の奄美にも船便の途次立ち寄った。)

沖縄行の主な目的は、石器時代遺跡・遺物の研究にあったようである。すでに現地を訪れる以前から鳥居は八重山出土の石器を紹介した「琉球ニ於ケル石器時代ノ遺跡」(1894 a)などの論文を発表し、沖縄に対する考古学的な関心を示していたが、1904年の滞在中も、最も精力的に取り組んだのは各地の遺跡調査であった。沖縄本島では中頭郡美里間切石川村チヌヒンチャ貝塚(現在の伊波貝塚)など四ヶ所、八重山諸島では石垣島の川平村獅子森(岡)貝塚(現在の川平第一貝塚)など二ヶ所の遺跡を調査して、土器、石器、貝製品等の出土を確認し、また那覇港内にある首里王府の海外交易品倉庫・御物城からは中国製青磁片などを収集した。それらは現代考古学の目でみれば、発掘というより表面的な採集調査の域を出るものではなかったにしても、鳥居が専門の学者として初めて沖縄の遺跡に注目し、沖縄の考古学研究に先鞭をつけた功績は大きい。この調査旅行の成果は、翌年「沖縄諸島に住居せし先住人民に就て」(1905 a)、「八重山の石器時代の住民に就て」(1905 b)などの論文にまとめられている。鳥居は、沖縄本島の土器を日本本土と同一系統のものと見なし、言語・身体形質に関する知見と合わせて沖縄石器時代人=アイヌ説を示唆する一方で、八重山諸島に関しては、出土した外耳土器が沖縄本島以北、日本本土には見られない別系統の土器であることを指摘し、むしろ台湾との関連性を推定した。そうした論旨の中にはアイヌ説など今日では支持を失ってしまった部分もあるが、沖縄の先史・考古学上の大局的な見通しについては、当時の鳥居の見解に、現在の研究でも受け継がれている所が少なくない。

その他にも沖縄住民の形質、言語、歌謡、習俗など、多彩な研究を行った。とりわけ注目に価するのは、鳥居がこの調査旅行に録音機、写真機を携帯し、祝詞、俗謡などの録音や、人物、建物、風景、行事などの撮影に力を注いだことである。当時の沖縄では、写真館のような特定の施設を除けば、写真機が広く住民に普及していたとは考えられない。その意味で、明治時代の後半に沖縄の各地を訪れて、村々の生活風景まで細かく撮影したそれらの写真は、今日では貴重な学術上の記録だと言えよう。鳥居の自叙伝にも「(沖縄本島で)ノロクモイ巫に注意し、その巫首という有名な婦人を撮影などした」、あるいは「(与那国島では)島の全体の村落、家屋、衣服等を概見し、それを早速撮影」(1953)といった記載が各所に散見される。今回ここに再生・収録したのは、その調査時の写真の一部である。

東アジアを中心にした鳥居龍蔵の雄大な学問世界において、沖縄(琉球諸島)はかならずLも枢要な位置にあるとは言えない。沖縄関係の学術論文も全部で6、7篇を数えるだけであり、生涯にわたる膨大な著述活動の中ではごく一角を占めているにすぎない。しかし、1904年という時点で、広く沖縄の南北、僻遠の離島までも踏査したその先駆性は、誰しもが高く評価するところであろう。鳥居の研究は、沖縄学の創始者と言われる伊波普猷をはじめとして、後の沖縄研究者たちにさまざまな影響を与えたと考えられるのである。ちなみに、1904年の調査旅行のときに鳥居に同道し、沖縄を案内したのは、当時はまだ東京帝国大学学生の伊波普猷であった。 写真の画像確認の際に、石垣博孝、糸数兼治、上江洲均、久手堅憲夫、名嘉順一、比嘉政夫の諸氏ならびに浦添市美術館準備室の諸氏から有益な御教示を賜りました。御礼申し上げます。

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[鳥居龍蔵の沖縄調査地図]


■沖縄関係著書・論文目録

以下の目録は『鳥居龍蔵全集』第5巻、第7巻、第12巻(1976年 朝日新聞社)によって作 成した。

1894 a (明治27)「琉球二於ケル石器時代ノ遺跡」『東京人類学会雑誌』94号;『鳥居龍蔵全集』第4巻:611-612
1894 b (明治27)「琉球諸島女子現用ノはけだま及ビ同地方掘出ノ曲玉」『東京人類学会雑誌』96号;『鳥居龍蔵全集』第4巻:612-615
1897 (明治30)「日本古代の神話と宮古島の神話」『東京人類学会雑誌』130号;『鳥居龍蔵全集』第4巻:609-610
1904 a (明治37)「森山氏の琉球語のことに就て」『東京人類学会雑誌』222号;『鳥居龍蔵全集』第4巻:625-628
1904 b (明治37)「沖縄人の皮膚の色に就て」『東京人類学会雑誌』223号;『鳥居龍蔵全集』第4巻:616-625
1905 a (明治38)「沖縄諸島に住居せし先住人民に就て」『東京人類学会雑誌』227号;『鳥居龍蔵全集』第1巻:24ト248
1905 b (明治38)「八重山の石器時代の住民に就て」『太陽』第11巻5号;『鳥居龍蔵全集』第1巻:248-256
1918 (大正7)『有史以前の日本』磯部甲陽堂(大正14:改訂版);『鳥居龍蔵全集』第1巻:167-453
1953 (昭和28)『ある老学徒の手記』朝日新聞社;『鳥居龍蔵全集』第12巻:137-343



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