1896 (明治29) | 「鳥居龍蔵氏の近信」『徳島日日新聞』明治29年9月4日;『鳥居龍蔵全集』第11巻:459-460 |
1897 a (明治30) | 「台湾生蕃地探検者の最も要す可き知識」『太陽』3巻15号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:408-415 |
1897 b (明治30) | 「東部台湾、阿眉種族の土器製造に就て」『東京人類学会雑誌』第135号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:561-572[絵][写真](重要) |
1897 c (明治30) | 「東部台湾に於ける各蕃族及び其分布」『東京人類学会雑誌』第136号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:464-485[絵](重要) |
1897 d (明治30) | 「東部台湾ニ棲息セル平埔種族」『東京人類学会雑誌』第132号:『鳥居龍蔵全集』第11巻:521-525[写真](重要) |
1897 e (明治30) | 「鳥居龍蔵氏よりの通信 坪井正五郎氏へ」『東京人類学会誌』第141号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:404-405[給] |
1897 f (明治30) | 「東部台湾諸蕃族に就て」『地学雑誌』9集104・105巻;『鳥居龍蔵全集』第11巻:485-505[絵](重要) |
1897 g (明治30) | 「有蘇蕃の測定」『地学雑誌』9集107巻;『鳥居龍蔵全集』第11巻:553-554 |
1897 h (明治30) | 「台湾通信 紅頭嶼行」『地学雑誌』9輯107巻;『鳥居龍蔵全集』第11巻:592-594 |
1897 i (明治30) | 「台湾に於ける有史以前の遺跡」『地学雑誌』9集107巻;『鳥居龍蔵全集』第11巻:397-399 |
1897 j (明治30) | 「鳥居龍蔵氏よりの通信(坪井正五郎氏へ)」『東京人類学会雑誌』第141号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:404-405 |
1898 a (明治31) | 「紅頭嶼の土人は如何なる種族より成る乎」『地学雑誌』10輯116巻;『鳥居龍蔵全集』第11巻:579-584[写真] |
1898 b (明治31) | 「紅頭嶼通信」『地学雑誌』10輯109巻;『鳥居龍蔵全集』第11巻:594-597 |
1898 c (明治31) | 「台湾人類学調査略報告」『東京人類学会雑誌』第144号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:505-509 |
1898 d (明治31) | 「鳥居龍蔵氏の蕃人調査」『徳島日日新聞』明治31年12月10日;『鳥居龍蔵全集』第11巻:460-461 |
1898 e (明治31) | 「蕃薯寮萬斗社生蕃ノ身体測定」『東京人類学会雑誌』第146号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:602-605[絵](重要) |
1898 f (明治31) | 「台湾基隆ノ平埔蕃ノ体格」『東京人類学会雑誌』第153号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:549-553[絵] |
1899 a (明治32) | 「台湾東南部の人類学的探検」『東京人類学会雑誌』第155号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:462-464 |
1899 b (明治32) | 「台湾阿眉蕃ノ弓箭放射法二就テ」『東京人類学会雑誌』第161号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:572-575[絵](重要) |
1899 c (明治32) | 「南部台湾蕃社探検談」『地学雑誌』11集125・126巻:『鳥居龍蔵全集』第11巻:415-422(重要) |
1899 d (明治32年3月) | 『人類学写真集 台湾紅頭嶼之部』東京帝国大学理科大学:『鳥居龍蔵全集』第11巻:329-353[写真](重要) |
1900 a (明治33) | 「新高山地方に於ける過去及び現在の住民」『東京人類学会雑誌』第170号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:575-579[絵] |
1900 b (明治33) | 「埔里社方面にて調査せし人類学的事項」『東京人類学会雑誌』第174号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:525-529(重要) |
1900-01 (明治33-34) | 「台湾埔里社霧社蕃の言語(東部有黥面蕃語)」『東京人類学会雑誌』第176-178号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:529-539「語彙」(重要) |
1901 a (明治34) | 「台湾阿里山蕃の土器作り」『東京人類学会雑誌』第178号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:558-560[絵](重要) |
1901 b (明治34) | 「東部有黥面蕃語ト苗族語ノ比較」『東京人類学会雑誌』第179号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:539-541「語彙」(重要) |
1901 c (明治34) | 「台湾埔里社(霧社)蕃(東部有黥面蕃)の神話」『東京人類学会雑誌』第180号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:557-558 |
1901 d (明治34) | 「台湾台東方面の有黥面蕃語と霧社蕃語」『東京人類学会雑誌』第181号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:542-546「語彙」(重要) |
1901 e (明治34) | 「紅頭嶼土人の頭形」『東京人類学会雑誌』第182号:『鳥居龍蔵全集』第11巷:584-589 |
1901 f (明治34) | 「埔里社山上万大社の蕃人は東部黥面蕃にあらず」『東京人類学会雑誌』第183号:『鳥居龍蔵全集』第11巻:546-549「語彙」(重要) |
1901 g (明治34) | 「黥面蕃女子の頭形」『東京人類学会雑誌』第18『鳥居龍蔵全集』第11巻:555-557 |
1901 h (明治34) | 「台湾に於ける小人の口碑」『東京人類学会雑誌』第188号;『鳥居龍蔵全集』第11巷:597-598 |
1901 i (明治34) | 「紅頭嶼土人の身長と指極」『東京人類学会雑誌』第189号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:589-592 |
1901 j (明治34) | 「台湾蕃地探検談」『地学雑誌』13集146・147・148巻;『鳥居龍蔵全集』第11巻:422-431(重要) |
1901 k (明治34) | 「台湾中央山脈の横断」『太陽』7巻9・10・12・13号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:431-459(重要) |
1902 (明治35年7月) | 『紅頭嶼土俗調査報告』東京帝国大学;『鳥居龍蔵全集』第11巻:281-328[絵](重要) |
1905 (明治38) | 「台湾生蕃に就ての参考書」『東京人類学会雑誌』第226号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:405-408 |
1907 (明治40) | 「台湾の小人はニグリトーなりしか」『東京人類学会雑誌』第252号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:598-601 |
1909 (明治42) | 「台湾各蕃族の頭形論」『東京人類学会雑誌』第282-285号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:509-521 |
1910 (明治43年12月) | 『人類学研究・台湾の原住民(一)序論(Etudes Anthropologiques.Les Aborigènesde Formose.(1r Fascicule.)Introduction)』東京帝国大学理科大学紀要第28冊第6編;『鳥居龍蔵全集』第5巻:1-74[写真](重要)
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1911 (明治44) | 「台湾台北円山貝塚」『人類学雑誌』第27巻1号;『鳥居龍蔵全集』第11巻:403-404[写真]
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1912 (明治45年1月) | 『人類学研究・台湾の原住民(二)ヤミ族(Etudes Anthropologiques.Les Aborigènes de Formose.(2e Fascicule.)Tribu Yami)』東京帝国大学理科大学紀要第32冊第4編;『鳥居龍蔵全集』第5巻:75-120[写真][絵](重要)
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1926 (大正15) | 「台湾の古代石造遺物に就いて」『民族』1巻3号:『鳥居龍蔵全集』第11巻:399-403[写真]
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1953 (昭和28) | 『ある老学徒の手記 考古学とともに六十年』朝日新聞社
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