ラマナイ遺跡最大の神殿である。高さは33メートルもある。この建物も長期間わたって利用されていたようで、古くは先古典期にあたる前100年頃にまでさかのぼる。この時期、神殿は、現在目にするような高さをすでに誇っていた(図13)。正面には階段が3つあり、中央のものが幅がもっとも広かった。基壇の下部に目をやると、階段間に神のマスクが飾られていることに気付く。3つの階段は頂上部まで続き、最上段の左右には、向かい合った部屋が見られた。ここからは先古典期に分類される土器が出土している。しかし正面には小基壇があるだけで、部屋はなかった。この構造が多少改修を加えられながら古典期に入っても利用されたのである。大規模な改修が行われるのが古典期後期の7世紀頃である。階段は一つになり、幅も広くなる。上下方向でいうと、大きく3つの部分に分かれ、踊り場的な基壇上面の空間にはさまざまな構造物が設けられた。とくに上って最初の基壇には、多数の入り口をもつ横に長い部屋状構造物が作られた。遺構N10-43の主な活動は古典期に停止するが、神殿脇の堆積中から後古典期にあたる奉納品の一部と考えられる土器の破片が出土していることから、多少の利用は続いていたとみるべきであろう。