遺構6は、遺構5の南に位置する。全体的に盛り上げられた広場の北端に建てられている。広場の南端にはやはり階段があって、さらに下の広場へとつながっていく。遺構6自体の底部の面積は遺構5の約3倍、60×60メートルである。高さは16メートルあり、巨大な広場が持ち上がったような形状を示す。南側正面には、幅の広い階段が設けられ、頂上部とつながる。頂上部の広場の奥には、さらに2段の基壇が設けられていた。この基壇の正面は、遺構5と同様に神のレリーフで飾られていたと考えられる。その意味では、この構造物は、遺構5と似た役割を担っていたのであろう。しかし基壇が高く、アクセスが限られていたため、壇上で執り行われた儀礼は、下の壇にいる人々の目に入ることはなかった。この違いは大きい。遺構5が初代の王、遺構4はセーロス第2代の王の手で作られたと考えられているので、この間に大きな社会変化、社会発展が起きたのであろう。すなわち王自らの放血や憑依の儀礼を誰もが小神殿の周りで容易に目にすることのできる社会から、限られた範囲の人々しか壇上の儀礼に参加することができないような社会への移行ともいえる。これは社会の階層化、王権の強大化が急速に進んだことと関連している。また頂上部には、翡翠などの奉納物を納めた穴が発見されている。初代の王が身につけていたものとされ、第2代の王が、自らの正当性や王としての神聖さを高めるために埋めたものと考えられる。