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洞窟壁画ならびに動産美術の情報化
独立行政法人情報処理推進機構(IPA)による1997年度マルチメディアコンテンツ振興事業で採択されたスペイン、カンタブリア大学との共同プロジェクトで、1997年9月から翌8月にかけ、スペイン北部のビスカヤ、ギプスコア、カンタブリア、アストリアスの各自治州で23箇所の旧石器洞窟と4箇所の考古学博物館において洞窟壁画ならびに動産美術、洞窟周辺景観の撮影を実施し、その成果として2002年、PhotoVRマルチメディア・データベース「先史人類の洞窟美術」が刊行された。筆者らは、その後も取材を進め、2004年までにスイス・ジュラ山麓、フランス・ドルドーニュ、スペイン・アタプエルカ等の旧石器洞窟遺跡を訪れた。
主な洞窟23箇所
- [バスク・ギプスコア自治州]
- エカイン洞窟
- サンチマミーニェ洞窟
- [バスク・ビスカヤ自治州]
- ベンタ・デ・ラ・ペラ洞窟
- アレナサ洞窟
- [カンタブリア自治州]
- チュフィン洞窟
- アルタミラ洞窟
- オルノス・デ・ラ・ペーニャ洞窟
- エル・カスティージョ洞窟
- ラス・チメネーアス洞窟
- ラ・パシェガ洞窟
- ラス・モネーダス洞窟
- サンティアン洞窟
- エル・ペンド洞窟
- ラ・アサ洞窟
- コバラナス洞窟
- ポンドウラ洞窟
- ラ・ガルマ洞窟
- ミロン洞窟
- [アストリアス自治州]
- ラ・ペーニャ・デ・カンダモ洞窟
- ラ・ジュエラ洞窟
- ティト・ブスティージョ洞窟
- エル・ブッシュ洞窟
- エル・ピンダル洞窟
- ラ・ロハ洞窟
- [動産美術撮影博物館]
- サン・セバスチアン考古学研究所
- ビルバオ考古・民俗学博物館
- サンタンデール考古学博物館
- アルタミラ研究博物館
- オビエド考古・民俗学博物館
新人旧人の交替劇
現生人類の直接的な祖先、つまり新人ホモ・サピエンスは、遺伝学的には約20万年前頃にアフリカで誕生し、10万年から6〜7年前頃までの間にアフリカを出て1万年前前後には世界中に拡散したことになっている。いわゆるアフリカ単一起源説であり、現在は、考古学的にも人類学的にもほぼこれが定説となっている。一方、アフリカの外では約20万年から25万年前にヨーロッパで誕生した旧人ネアンデルタールが、約4万年前から3万年前、最近ではイベリア半島では2万数千年前頃までは生存していたとされている。とすると、新人ホモ・サピエンスはアフリカを出た後、進出した各地で先住のネアンデルタール人と遭遇し、時期と地域によっては近傍で共存し、あるいは競合し、そして、少なくとも2万年前頃までにはネアンデルタール人は完全に絶滅し、この地球上の人類は新人ホモ・サピエンスだけとなった。これが「新人旧人の交替劇」である。ただし、仮に新人旧人がある地域で接触したとしても、交配によって旧人が新人に吸収された可能性もあり、また何らかの原因で旧人が自然に絶滅した可能性もある。この場合「交替劇」といったドラマはなかったことになるが、実際はある時期と地域によっては劇的に新人旧人が交替し、あるいは吸収され、自然消滅したというのが真相かも知れない。本稿としては、少なくともイベリア半島北部では3万5千年前後に新人クロマニヨン人が進出し、旧人ネアンデルタール人との交替劇が一部にはあったという立場を支持したい。
「新人旧人の交替劇」については現在も世界中で調査・研究が進められている。日本では、文部科学省の「新学術領域研究」として「ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相ー学習能力の進化に基づく実証研究」(領域代表 高知工科大学・総合研究所・赤澤 威)が2010年から5年計画で進められている。同領域研究の公式ホームページにはその目標を以下のように記している。
「本領域研究は、20 万年前の新人ホモ・サピエンス誕生以降、アフリカを起点にして世界各地で漸進的に進行した新人と旧人ネアンデルタールの交替劇を、生存戦略上の問題解決に成功した社会と失敗した社会として捉え、その相違をヒトの学習能力・学習行動という視点にたって調査研究する。そして、交替劇の真相は旧人と新人の間に存在した学習能力差にあったとする作業仮説(以下「学習仮説」と称する)を実証的に検証する計画である。具体的には、人文系・生物系・理工系諸分野の連携研究のもとで、@旧人・新人の間に学習能力差・学習行動差が存在したこと、Aその能力差・行動差はヒトにおける学習能力の進化の結果であること、Bその能力差・行動差の存在を両者の脳の神経基盤の形態差で証明すること、以上によって学習仮説を実証的に検証する計画である。そして、人類がどのような存在として進化してきたかについて、学習能力の視点に立つ新たな実証的モデルの構築をめざす。」
http://www.koutaigeki.org/
カスティージョの点描の円盤の絶対年代が約4万8百年前
エル・カスティージョ洞窟の壁画の年代については、これまでは古くても2万7000年前頃というのが定説であった。ところが、本年(2012年)、イギリス、ブリストル大学の考古学者アリステア・パイク(Alistair Pike)氏らによってスペイン北部の11カ所の洞窟壁画について年代測定が行われ、中でもエル・カスティージョ洞窟の手形の間に見られる赤い点描の丸模様の絶対年代が約4万800年以上前と測定されたことがサイエンス誌の6月15日号で発表された(1)。
洞窟壁画の絶対年代の測定には壁画の黒色部分に含まれる「炭」を検体として炭素14法が用いられることがあるが、今回は対象とした壁画に炭素が含まれていなかったため、壁画表面に付着した炭酸カルシウムを検体としてウラン・トリウム法が適用された。
ウラン・トリウム法は、自然に存在するウラン234が崩壊してトリウム230になるということ、また、ウランは水に溶けやすいがトリウムは溶けにくいという化学的性質の違いを利用した絶対年代測定法である。石灰岩の洞窟の岩肌に描かれた壁画の場合、その表面はやがて水に溶けた炭酸カルシュームで被われてゆくが、当初そこには放射性のウラン234が自然の水に溶けて含まれているが、水に溶けにくいトリウムは含まれていない。そしてウラン234は時を刻むように崩壊してトリウム230になる。つまり、壁画に付着した炭酸カルシューム中のウラン234とトリウム230の含有量の比からその炭酸カルシュームの年代が計算できることになる。こうしてウラン・トリウム法は、鍾乳石など炭酸塩鉱物を対象とし、1000年から40万年程度の年代測定が可能とされる。
ところで、もしアリステア・パイク(Alistair Pike)氏らの今回の測定が正しいとすれば、エル・カスティージョ洞窟の点描の丸模様は、南仏のショーベイ洞窟の壁画を抜いて世界最古の洞窟壁画となるばかりではなく、同地域にクロマニヨン人が進出した時期が3万6000年前頃だったとすれば、その丸模様がネアンデルタール人によって描かれた可能性が排除できなくなる。そして、ネアンデルタール人と現生人類との差が更に縮まってきたことにもなる。
(1) A.W.G.Pike et al. Science 336, 1409(2012); DOI:10.1126/science.1219957
Takeo Fukazawa
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