朝早く起きて、朝食もとらずにMemoの車でマヤ系先住民の暮らす村に向かった。まずはSan Pedro Colombiaという村に行ったが、その村に入る前に旅行者と村の住民とのつなぎ役をしているおばさんの家により、その村にホームステイする方法や、写真を自由に撮ってもよいかなどを尋ねた。そのおばさんによると、村に泊まるには村長に許可を得れば、簡単な食事とベッド(またはハンモック)を用意してくれるそうだ。また、遺跡や村を撮った写真を商用に使うのでなければ、自由に撮影してもよいそうだ。ただ、時に村の人々を撮った後に、料金を請求されたりする場合もあるそうなので、事前に許可を得る必要があるということだ。また、遺跡への案内を頼むときも、先に値段をはっきりさせておかないと、後で予想外の値段を請求されたというケースもあったそうだ。ここの人々の収入源のひとつはやはり旅行者相手の仕事なのだろう。
日が高いうちに写真を撮らなければならないので私たちは急いで、遺跡に向かった。最初に行ったのは、Lubaantunという遺跡である。そこに行く途中、ガソリンスタンドで、水とお菓子を買った。みんな朝食抜きなので腹ぺこだった。Lunaantunには案内人のおじさんが数人と、村から来ている女の子2人がいた。写真を撮る時間はいつものように長く、私はその間待たなければならなかったが、今回は案内のおじさんたちと話せたし、Memoもいたのであまり退屈はしなかった。おじさんたちはMayaの言葉を話すことができたので、私は少し教えてもらったが、発音がとてもむずかしかった。Memoとはかなり長い間話していたので、親しくなることができた。彼の仕事の話しや、夢や、恋人のことなどを聞き、また私も自分自信のことを話したPunta Gordaにはめったに日本人が来ないので、私と話すことはとても新鮮らしい。Belizeという国名でさえ日本人の中で知っている人は少ないだろうに、ましてやその国のはずれにあるPunta Gordaにまで足をのばす人は そういないだろう。距離的にはBelize CityからPunta Gordaは東京から京都くらいなのだが、道が整備されていず、陸路で来るのは何日もかかってしまう。時間におわれて旅行をする日本人にはここは魅力のない町なのかもしれない。
次の遺跡、Uxbentonに行く途中、またガソリンスタンドによって食料を買った。ランチ用のパンとそれにはさむための缶詰、そしてMemoにマンゴジュースをごちそうしてもらった。マンゴジュースというと、青臭いものを想像したが、のどが乾いていたせいもあるかもしれないが、とても新鮮でおいしかった。 遺跡について、父親はすぐに写真撮影を始めたが、私たちはサンドイッチづくりを始めた。パンにコンビーフをはさんだだけのものだが、なかなかおいしかった。前の遺跡にいた村の女の子達が、San Antonioに行きたいと言うので、いっしょにつれてきていた。彼女達やそこにいた案内人にもサンドイッチをわけて、みんなでランチを楽しんだ。父親はお昼も食べずに写真を撮り続けていた。いくら日が高いうちにといっても、少しくらい休んでお昼を食べればいいのにと思った。
3つめの遺跡に向かう途中、San Antonio村への分岐点で女の子達を降ろした。彼女達はそれぞれの母親がつくったという、おみやげものを持っていて、私たちに買ってもらいたがった。私が「昨日他の子から買ったから」というと「Please help us」というので、買ってあげないとかわいそうな気がした。高いなと思いつつ、ベルトを買い、彼女達と別れた。そのベルトは何に使うのかよくわからなかったが、寄付だと思えばべつにいいと考えることにした。
3つめの遺跡は、ただの石を積み上げただけのもので、きちんと管理されていないのでまわりも荒れ放題だった。Memoは父親が写真を撮る間に近くの村に行って、友達を連れてきた。その友達というのはアメリカ人の女性で、マヤの村に住んでボランティアをしている人だった。名前はたしたAliだったと思う。彼女は普段はここの学校で英語を教えているそうだが、明日はわたしたちとCayeに行くので一緒に町に戻った。私たちも初めは村に泊まるつもりでいたが、疲れをとるためにホテルに戻った。