Maya Temples/深沢レポート



取材スタッフ

 今回は、監修者の関雄二先生にも取材に同行していただき、遺跡を直接見ていただいた上でより専門的な調査、解説をしていただくことになっていた。先生は、長年、東京大学アンデス調査隊の一員として古代アンデス文明に関する遺跡調査を続けてこられ、近年は、ペルー北部のクントゥルワシ遺跡の発掘に係わってこられた方であるが、同時に、北米から中米にかけての古代文明についても造詣が深く、中でもマヤ文明については特に強い関心をお持ちになっておられる気鋭の考古学者である。先生は、この度、東京大学総合研究資料館から奈良の天理大学への転職を3月末に控えており、公私ともに多忙を極めておられる様子ではあったが、同じマヤ好きであればこそ、私共の計画のために快く取材への同行を承諾していただいたと感謝している。ただし、同行とはいえ、ラフロードの走行とスペイン語によく通じているため、運転手兼ガイド役としてもご活躍を願うことになっていた。

 私の場合は、先生とは違って学生の頃から社会的にはまったくのはみだし者であり、今でいえばフリーターとでも言いましょうか、日本の高度成長を横眼にしながら二十代から三十代の半ばまでをほとんど無為に過ごしてきた。とはいえ、私にも「生活」というものがあったわけで、その糧としていたのがペンとカメラと好奇心だった。学生時代に3年ほどヨーロッパで過ごしたこともあり、その間は、スイスやイタリアの小さな町で絵描きの真似ごとをしていたこともあり、スカンジナビアの不定期貨物船の電気工として大西洋、カリブ海、地中海などをさまよっていた時期もあった。東西冷戦の最中、科学雑誌の編集者の立場で旧ソ連邦の最奥部中ソ国境のオアシス都市にアマチュア日食観測隊を日本で初めて送り込んだこともあった。

 私にとっての歴史の出発点は、自分の祖先が何でどういう生活をしていたかを調べることだった。高校1年の時の夏だった。既に亡き父の残したボロボロの二眼レフをもって山梨の父の生家を尋ね、土蔵に眠っていた江戸時代の文書からお寺の過去帳、それに村の周辺の社寺や石仏などを無差別に写真を撮って歩いた。その時にまとめた家史は、江戸中期から末期にかけての農民史の一端を記すものとして教室でも評価され、私にとっては自分自身のルーツを確定するものとして今でも貴重な史料となっている。

 「メキシコの美術は凄い。」そして、「古代マヤはもっと凄い。」という話を当時の美術の恩師田中春弥先生から聞いていたのもその頃だった。私にとっては、それが初めてのマヤとの出会いであったが、実際に今、自分の眼でその凄さを体験することになるまでにあれから30年以上もたってしまったわけである。その間、私の関心は、ゴーギャンやモジリアニがどうであったとか、レオナルド・ダビンチやミケランジェロがどうであったとか、あるいは、日本の天皇のルーツは実はこうだったとか、戦前の日本人が極東で何をしたかとか、そして、同時に不可避の課題として今のビジネスをどうつないでゆくか等々、実にめまぐるしく移り代わるわけであるが、それが今、またマヤとは、いささか自分でも理解に苦しむところではある。


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Editor: Takeo Fukazawa
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